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田淵寿郎(たぶちじゅろう)と戦後名古屋の復興

2011/05/20 ブログ

 東日本大震災からの復興に向かって、「東日本大震災復興構想会議」が、取り組まれています。

 http://www.cas.go.jp/jp/fukkou/

 

 ここ、名古屋においても、復興における先達がいます。東海地方の方々ならば、一度は、その名を聞いたことがあるに違いない、「田淵寿郎」(土木技師)、その人です。

 

 田淵寿郎が掲げた、「大中京再建の構想」は、その発表段階で(昭和20年)、将来の人口を既に200万人と想定しており(現在の名古屋の人口に相応!)、道幅100メートルの道路2本(いわゆる100メートル道路:現在の久屋大通と若宮大通)などの幹線道路の整備、市内に数多くあった墓地を、東山の「平和公園」に移転した(移転した数=278のお寺の18万基と言われる)、大胆な土地区画整理事業による、戦災復興事業が進められました。

 

 当時、100メートル道路を造るときに、「名古屋はまちの中に飛行場でも造るのか」、と揶揄されたり、また、区画整理による、史上例を見ない、墓地の大規模移転の際には、周囲からの猛反発に逢いながらも、地権者からの協力を得ることで成功したなど、そこにあるのは、豊富な知識に基づく大胆な発想力、そして、それを遂行する強靭な意志、です。 

 

 また、田淵寿郎を呼び寄せた、当時の佐藤正俊名古屋市長の存在も忘れることはできません。

 

 http://www.nui.or.jp/raiburari/20/pdf/45-1.pdf

 http://www.nui.or.jp/